2009年10月19日月曜日

山田勇男監督トークショー





山田勇男監督、ありがとうございました!


山田勇男監督トークショーより

Q.へんりっくさんとの出会いは?

山田監督:私は1974年3月に天井桟敷に入団したんですが、もちろんへんりくさんはスタッフとして知ってるけど、いざその中に入ってみると寺山さんの助手として色々と動き廻っているんですよ。で、「山田ちょっと」って言われて、コピーをしたりとかお使いのようにあれこれへんりくさんのもとで手伝いをさせてもらった時があったんですが、当然ながら寺山さんと密に打ち合わせしてる訳ですよね。寺山さんの指示をへんりくさんが具体的にして最終的に寺山さんが、それをチェックして了解するといった作業が繰り返されてるんです。そういう現場を目の当たりにしてると、私には、あっへんりくさんがもう一人の寺山修司なんだって、その時認識しちゃった訳ですね。

Q.『蒸発旅日記』でのへんりくさんの助手ぶりは?

山田監督:今、話したように、へんりくさんはずっと寺山さんになりかわってというか、寺山修司になってやってきた訳じゃないですか。まづ、そんなへんりくさんに助監督をお願いするなんて、実はすごく恐縮してた部分はありましたね。以前『アンモナイトのささやきを聞いた』では、札幌からきた時、へんりくさんの借りてた部屋を常宿にさせてもらったりと、映画についても、もうスタッフのひとりのように沢山の指示やアドバイスをくれました。いつも答えにスピードがあって、的確なんですよ。だからへんりくさんが助監督になてくれただけで、すごく心強く感じました。へんりくさんは自分がどう思うということではなくて、相手がどのようにしたいのかってことをちゃんと考えてくれる。私が一度撮影中に、もうすごく疲れちゃって、気持ちが逃げそうになったときに、監督が何をやりたいのか、その創作的なふんばりをみせてくれたへんりくさんをみて、ああ、やっぱりこの人はものを作るってことに対して、とても厳しくって、とても真摯なんだって改めて感心したことがありました。


以上、トークショーでの山田監督によるへんりっくとのエピソードでした。
ご来場いただきましたお客様、本当にありがとうございました。